上柴ニュータウン記念塔 『人々のモニュメント』

このアルミ製の3本柱を束ねた塔の題名は『人々のモニュメント』。
深谷上柴ショッピングセンター完成時(1982年)に広場の中に建てられました。デザインは現代美術家の関根伸夫氏(後述)で高さは建立年に合わせた19.82m、当時のニュータウン建設やモニュメント建立の経緯などが記されております。現在は行政施設キララ上柴の建設の際にアリオ敷地内の西側、上柴中央公園向かいに土台部分も合わせて移転されました。

プレートの内容

当時の時代の雰囲気のなかで上昇志向に満ち溢れた文章になっております。

人々のモニュメント
このモニュメントは、深谷都市計画事業、上柴土地区画整理事業の完成を記念して、今後この地区が、永遠に調和のある発展を遂げることを願って建設したものです。 大地から盛り上がる三つの石山は、人々の英知と人々の協調された力の強さを表現し、 その頂上から突き出した三角形の三本の柱は、やがて空中でまじ合い、『人』文字を描いてさらに天空に伸び、この地区に住む人々の強い連帯感と、明るい伸び行く未来を象徴している。そして、その高さは、建設年に因んで十九・八二米となっている。足元の三つの石山の谷間は、以前の区域図をモザイクした円形広場があり、往時を偲ばせております。この広場の中心から、モニュメントを見上げると、三角形の空が浮かんでいるような型で眼前に現れます。つまり、この空間デザインの本当の中心は、空洞になっており、いわば、器のような存在感を示しております。この器ともいうべき空間は、深谷市の人々を強く結びつける磁場を凝縮して表象することを意図したデザインでもあります。一九八二年十月吉日建立 深谷市長 小泉仲治

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モニュメント碑文 (ニュータウン開発の経緯)

新市街地開発のビジョンは未来への指標であり、あくまでも現実に則し、そして科学に立脚するものでなくてはならない。我々は、未来の市民からの呼応に確信をもって市の針路を示し、その姿を具象して新世紀への序曲とするため、未来都市上柴ニュータウンをここに誕生させた。深谷市は昭和30年市制施行、当時、本市の産業は、深谷葱に代表される農業と粘土瓦、陶管等の窯業、生糸、縫製業等の地場産業が王流をなし、その人口は五万余人であった。昭和三十六年首都圏整備法に基づく都市開発区域に指定され、第一、第二工業団地を造成し、積極的に近代工場の誘致を図った結果、人口は、年を追う毎に増加の一途を辿った。この上柴地域においても、こうした都市化現象が次第に顕在化し、未整備のまま宅地化が進行しつつあった。高度経済成長時代の到来による、住宅、交通、公害等の都市問題が行政の最大課題となり、本市においても、計画と秩序のある、まちづくりへの対応を迫られた。こうした状況下、昭和四十三年市は、この地域を新市街地とする大規模住宅地の開発を重要施策として位置づけた。然しながら、この地域は国策として、すでに荒川中部水利事業計画が先行し、受益地区として優良農地の造成を行うか、宅地開発を進めるか、二者択一が迫られていた。そしてここに、時代の趨勢は様々な紆余曲折を経ながらも、関係各位の努力により、権利者九百七十余名をして市街地開発と、総意を帰結せしめ、昭和四十七年十二月、勇躍、土地区画整理事業として、この壮大な事業に着手したのである。又この事業の計画にあたっては、アメリカ合衆国に範を求め、サンフランシスコ ロサンゼルス両市の市街地開発区域を具(つぶさ)に視察しこれを規範とした。着工以来、年を閲すること十三年、この間、オイルショックを始め幾多の難局に遭遇しつつも、かつての農耕牧歌の大地は今、人を育み、潤いと安らぎをもたらし、緑と若さと躍進の新しい深谷市のシンボル地域として大きく生まれかわった。ここに関係各位の見事に結集された英知と熱意と努力に対し心から感謝し、この地域の往時を偲び、これを後世に伝承するとともに、永遠の発展と豊かな市民生活を念願して、ここに記念碑を建立するものである。
深谷市長 小泉仲治

人々のモニュメント

実はこのモニュメントとそっくりの塔が、1986年、府中市の公園に造られました。その名も、『 人々の門 』。公園に聳え立つその塔は、上柴と瓜二つ、3本の柱や土台の構造もそっくりです。建立の経緯も土地区画整理事業の記念塔とのこと、当時、モニュメントやオブジェを専門とした施工業者が全国の街づくりに関わったのかもしれません。もしくは深谷市以上に東芝の企業城下町である府中市、東芝深谷と何か縁があったのでしょうか。またはこのアルミのオブジェからしてスカイアルミも関わっていたのかはわかりません。上柴ニュータウンにはユニークなオブジェもいくつかありますが、(公園ページ参照) そっくりのオブジェが全国のどこかにあるのかもしれません。

追記

この上柴の記念塔は 現代美術家 関根伸夫氏 によるデザインであることが下記の資料からわかりました。パブリックアートやモニュメントなど多くの作品を残した関根氏は日本やアメリカで活躍した現代美術家、彫刻家です。多摩美術大学客員教授。1942年埼玉県大宮市生まれ。1968年から1970年にかけて「もの派」をリードする作品を次々に発表。その後、「公共空間を活性化させるアート」に関心を移し、1973年、環境美術研究所を設立。東京都庁舎シティーホール前の《水の神殿》をはじめ、全国のさまざまなモニュメントやプロジェクトが実現されました。(参照Wikipedia)

資料:MOMAS COLLECTION |The Museum of Modern Art, Saitama MOMASコレクション第4期埼玉県立近代美術館 リサーチ・プログラム関根伸夫と環境美術 深谷市上柴地区センター モニュメント 人人の門 (1982)

人々の門 府中公園

府中公園 人人の門(1986) 関根伸夫&環境美術研究所作品集 検索リンク→ 『人々の門』

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